伊田信光 幸福実現党 研修局長 オフィシャルブログ

【「徳の探究の時代」第21回】

Home / お知らせ / 【「徳の探究の時代」第21回】

【「徳の探究の時代」第21回】

カテゴリ お知らせ

【善悪を分かつ「智慧」の共有こそ、「徳治政治」への道】

 

「徳治政治」は、徳を志す者にとっては、理想の政治である。
近江聖人・「中江藤樹の霊言」の中に、「徳知政治」への道を発見した。

 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

01191817_50fa64c6deaea善悪を分かたないままに放置すると、智慧が生まれてこないのです。

 

つまり、善悪を分かつ過程において、結果が出てくる。

その結果に関し、善なる結果が出てきた場合、

それを分かつ方法が智慧と呼ばれるものになるわけですね。

 

 

この智慧を学ぶことによって、人は教育されるわけであり、

また、その智慧を共有することが、ある意味での徳知政治のようになっていく。

 

         (大川隆法『中江藤樹の霊言』p117〜118)

 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

「徳治政治」は、人類の理想だと私は考える。
その理想の実現を、様々な視点から多くの人々が考えて実践してきた。
 
ここに、中江藤樹先生によって、
「善悪を分かつ『智慧』の共有」という考え方が示された。
 
善因善果、悪因悪果。
縁起の理法は眩まされない。
 
善悪を分かつ過程において、
善なる結果が出てきたのであるならば、
そこには、必ず善因がある。
善なる結果をもたらすものを智慧と呼ぶならば、
智慧は善因に他ならない。
 
善が神の性質だと認めるならば、
智慧とは、神の視点からの正しさを示していることになる。
すなわち、智慧とは「神の正義」に他ならない。

 

 

この神の正義を学ぶことで、

人々は神の心を心として生きることが可能となる。

それが、教育によって国民に共有されていくならば、

そこに神聖政治が表れ、神の国が実現するのだ。

神聖政治こそ、徳治政治の究極の姿でもあろう。

 

福老寿6「善悪を分かつ『智慧』の共有」という、

誰でも可能な小さな実践が秘めている、

偉大な創造の力をしっかり認識すべきだろう。

 

 

 

 

 

 

 

あなたが幸福でありますように。

 

 

 

 


ページのトップへ