伊田信光 幸福実現党 研修局長 オフィシャルブログ

【徳の探究の時代 第6回】

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【徳の探究の時代 第6回】

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【「『徳』と『革命』」】

 

今回は「徳」と「革命」の関係を考え、日本の進むべき変革の道を考えてみます。

 

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05312021_574d73a1baa0a「徳のない王は、いずれ天から見放されてしまうのではないか」というような発想をその頃の人々は持っていました。

 

当時の中国には、西洋的な考え方で言う王権神授説的な発想が少し入っていたので、「王が国を治めるということは、何らかの天意を受けて治めているはずだ」と、国民たちは信じていました。

 

 そのため、まるで天から指導を受けていないような徳のない政を行っているのであれば、おそらく、「天意、天帝のご意向は、この王朝から離れてしまっているのではないか」というように国民たちは考えました。

 

「徳のない王にはもはや“天の命”は降りず、新たな“天の命”を受けた指導者がどこかから登場してくるはずだ」と考えたわけです。

そして、新たなリーダーの登場を求めました。…

 

 徳のない王からは、有能な臣下も離れていくのです。

 

                                 (大川真輝『正しき革命の実現』/第1章 正しき革命の実現)

 

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中国には、古来から、革命思想があります。
日本でも、その影響を受けて、天変地異、戦乱、疫病など、国が大いに乱れた時には、為政者が天意を受けることができなくなっており、指導者が変るべきだという思想が脈々と流れています。
 
この思想は、そもそも、政治は、天帝と呼ばれる神の如き存在の意向をこの世に具体化するものであり、政(まつりごと)をする資格は、天から与えられているのだという「王権神授説」的な考え方に基づいています。

 

そして、その意向を受ける条件は、為政者の「徳」であり、その「徳」を失うと、もはや天命は受けられなくなるという考え方があるのです。
 
そして、臣下も、国民も、為政者の資格を「徳」で計り、徳を失ったならば、新しい指導者が天意を受けて現れてくるはずであり、その為政者を倒すことが正義であると考えていたのです。
 
幸福実現党も、基本的には、この考え方を正しいと考えていますが、少し説明を要します。
 
幸福実現党は基本的に武力革命を肯定してはいません。体制内革命を考えています。
民主主義の時代にあって、選挙で為政者を決めて行くことが基本だと考えています。
ただ、民主主義の意味は、本来「神の子の民主主義」だと考えているのです。

 

人間は神の子、仏の子であり、基本的にその自覚を持って、神仏の心を心として生きることを目指すべきであり、神仏の心を心として、為政者を選んでいくべきであると考えているのです。
民主と言っても、神の子の民主ですから、基本的には、神仏の心を基本とした神聖政治、徳治政治を目指します。
 
そして、革命とは「自由の創設」だと考えています。
人間神の子の無限の可能性を解き放つ方向で、様々な縛り、規制を排除し、繁栄をもたらす土壌、環境、魂修行の場を創造していくことが政治の本来の使命だと考えており、「自由の創設」と言う名の「革命」がそれを可能にすると考えているのです。

 

これは、仏教的には、解脱の意味を含んでいます。社会において、仏法真理に基づいて、人間性を解放することを目的としているのです。
ですから、幸福実現党は、「自由」を尊重し、「自由からの繁栄」を目指しています。
 
今、日本の現状を見ると、「徳」の概念が希薄になっています。
あったとしても、道徳レベルで、神仏への尊崇の念、信仰に基づかない根の浅い徳になっています。
 
政党を見渡しても、政治を行う際の最も重視する力を、お金、力、知力、権謀術数等に置き、「徳」の力を政治家の資格として、最優先している政党はありません。
国民を見ても、「徳」を基準として政治家を選んではおらず、自分の欲望や利権の実現を優先して選んでいることが多いようです。
そういう意味で、日本における政治状況は危機的な状況にあり、真の意味で、革命が必要とされている時代に入っています。

 

 

a665e2edce51c90ca8f0fce790d97263幸福実現党がその革命の旗手です。

 

幸福実現党は、全く新しい政治と政治家像を掲げ、「自由の創設」という名の革命を推進していきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

あなたが幸福でありますように。

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