伊田信光 幸福実現党 研修局長 オフィシャルブログ

【徳の探究の時代 第5回】

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【徳の探究の時代 第5回】

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【大きな視野で自分を見つめ直せることが「徳の成長」】

 

「徳の成長」ということを考えてみたいと思います。

 

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 xUkqXHIm結局は、「自分とは違うような人たちのグループに属する人、あるいは社会全体や国家全体から、どのように見えているか。外国からは、どのように見えているか。そうした大きな視野で自分を見る目を、最終的に持っているかどうか」ということに、解決を得なければいけないのではないでしょうか。

 

 また、「そうした大きな視野で、自分を見つめ直すことができる」ということが、ある意味で、実は、「徳の成長」でもあるのではないかと思います。

 社会的には、いろいろな分野に、いろいろなかたちで成功し、出世していく人がいますが、「それを、ほかの人が、どのように評価するか」ということは、なかなか分かりにくいものです。

 

 会社の社長は、会社が大きくなったら、もちろん、社内では天皇のようなもので、威張っているわけですが、「ほかの世界の人たちから、自分が、どう評価されているか」ということは、そう簡単に分かるものではありません。

 したがって、このへんを客観的に見なければならないのです。これは非常に難しいことではないかと思います。

 

             (大川隆法『忍耐の法』/第3章 徳の発生について)

 

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徳を成長させることが、とても難しいことが分かります。
まず、「自分の客観視」ができない人は、「徳」があるとは言えないでしょう。
自我我欲で生きている人、自己中心の見方しかできない人は、「徳」がないというのは分かります。
 
客観視ができるためには、自分も他人も同じ土俵で観ることができることが必要ですが、この視点のことを、仏教的には「般若」と言います。
これに対して、自我の立場から、物事を見る視点を「識」と言いますが、これは自分からの見方であって、自分自身は見えていないのです。
この「般若」の立場に立つ為には、「無我」という無執着の視点に立てなければなりません。
そこには、反省や愛の実践と言う無我修行が必要なのです。

 

大きな視野で、自分を見つめ直すということは、さらに難しいことです。
自分と違う考え方の人々に対する関心を持ち、知識的にも知っているということが必要だし、そういう考え方に到る根本的な物事の見方も理解できなければなりません。
 
さらに、社会全体、国家全体、外国という視点まで広げていこうとすると、そこには、相当な情報収集と学習が必要だし、それを実践し続ける意欲が必要になります。
その意欲はどこから出てくるのか、その奥に必ず大きな志がなければ、なかなかできるものではありません。
 
その志の中には、自分とは何者であるのかということを探究し、何をなすべき存在なのかという、使命感に対する自己認識が含まれているはずです。
それは、自分の責任の範囲をどこまで広げるかと言うことに懸かってくるのです。

 

ここまで行くと、人間とはいかなる存在か、何をなすべき存在か、人間観と世界観が必要になってくると思います。
それは、哲学と言ってもいいし、もっと言えば宗教に行き着くでしょう。

 

この部分がしっかりしていないと、頭で国家や外国にまで関心を持ち、その大きな視野の中で、自分はどうあるべきか、何をなすべきかと言うようなことは、真剣に考えられないのだと思います。
このように、「徳の成長」の為には、根本の人間観、世界観に対する探究がベースに必要です。

 

ふくろうくん27さらに、自己の徳の成長度合いを図る指針として、どこまで広い視野の中で、自分を客観的に位置づけることができるか、その中でいかに自分を変化させて、全体の進歩と調和の為に、どのように貢献できるかという視点が必要になってくるのだと思います

 

 

 

 

 

 

 

 

あなたが幸福でありますように。

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