伊田信光 幸福実現党 研修局長 オフィシャルブログ

【『徳の探究』の時代」】

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【『徳の探究』の時代」】

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【《第4回“徳の果実”が「善」》】

 

「幸福の科学」は、教育革命の中心課題の一つとして、霊的学問の可能性を探究し、確立しようとしています。
大川隆法先生が、ソクラテスの霊言を取った中で、その可能性を示唆する部分がありました。

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 あなたがたは、いちおう、この世とあの世の両方を貫く幸福を求めておられるのだろうとは思うが、「信仰なるものの正しさの証明」や「宗教的な真実の証明」は、やはり、なかなか、それほど簡単なことではない。

 

 あくまでも文系的な学問として求めるのなら、やはり、「徳の完成」というか、徳なるものを追究していくことが大事だろうし、“徳の果実”が「善」だろうと思うな。

 

 徳ある人間として生きた果実より生まれるものが善なるもので、善と悪とを区別するなかに、宗教的な価値判断は生まれてくると思う。

 しかし、今、「善と悪とを区別する」ということは、極めて難しい、困難なことだね。…

 

 やはり、「善悪を分かつ」ということを、一つの果実として求める学問は、なかなか成立しがたいものであるわな。

 宗教においても、ほとんど「信じなさい」で終わっているものはあるけれども、学問として成り立たせようとするならば、やはり、「あらゆる角度から、研究、探究していく態度」を持っていくことが大事だろうな。そのへんでしょうね。

 

『ソクラテスの幸福論』/ソクラテスの幸福論/5 「信仰と学問の両立」に向けて)

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11121545_5463020ae395a霊的なものは、証明にはなじみません。

 

大川隆法総裁先生は、30年以上に亘って霊言を取り、霊界の証明をしようと努力し続けておられますが、最後の一線は、信じるかどうかです。
 
しかし、最終的には信じるしかないとしても、唯物論をこの地上から追放するためには、その証明の努力はあらゆる角度から永遠に続けていかなければならないものだと思います。
 
ソクラテスは、その努力の方法の一つとして、「徳の完成」の追究、「徳の探究」を上げています。

 

そして、“徳の果実”が『善』だろうと思う」というとても大事な示唆に富む視点を与えて下さいました。
 

「徳ある人間として生きた果実より生まれるものが善なるもの」

 

これは、「善は縁起」だということです。

 

徳を探究して、徳ある人間として生きた果実、結果として表れたものが「善」だということです。
そうであるならば、ソクラテスが、毒杯を仰いで死を選んだことは、宗教的には「善」であったと言えるでしょう。
 
善と悪を、徳の探究と絡めて、徳ある生き方の結果と考える思想は、行為そのものを唯物的に評価、判定するのではなく、それまでの心の探究の集積と捉えるという唯心的な考え方です。
 
善と悪とを区別するなかに、神の意に添わんとする心の軌跡があったのか、愛と悟りを融合しようとする心の動きがあったのか、神への信仰の元にその行為は行われていたのか、という心の分析が、価値判断の前にあるということです。

 

根本仏下生の現代においても、霊的学問の成立は、信仰を前提としています。
しかし、霊的確信が持てない多くの人々に、魂の救済の手を差し伸べるためには、学問的なアプローチの体裁を取ることも必要だと考えます。

 

ふくろうくん23「徳の探究」を続ける中に、真の信仰に目覚める道が用意されていると考えるからです。

 

よって、学問として成り立つかどうかは別にして、あらゆる角度から、「徳の研究」、「徳の探究」が必要だと考えます。

 

 

 

 

 

 

あなたが幸福でありますように。

 


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