伊田信光 幸福実現党 研修局長 オフィシャルブログ

【「神の下(もと)の自由」と「神のない自由」】

Home / ミネルバの泉 / 【「神の下(もと)の自由」と「神のない自由」】

【「神の下(もと)の自由」と「神のない自由」】

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

10221446_5628784f3615a私のほう(ルター)は、「神があり、信仰があっての、人間としての尊厳があって、そこに、人間の尊厳に基づく自由が存在するんだ」という考えです。

これなくしての、単なる「選択の自由」や「行動の自由」だったら、「動物の自由」と変らないわけです。…

 

「神なき自由」という、人間の衝動的な、あるいは本能的な選択だけの自由が、本当の自由ではない。

 

今は、それが自由だと思っている人がたくさんいると思いますよ。

法治国家のなかにおいて、そう思っている人はいるけども、やっぱり、法律の基礎、憲法の基礎に神仏の心のようなものがあるかないかは、ものすごく大きなことだと思う。

 

今の日本でも、この部分にちょっと欠けている面があるために、法律が神様や基本教義の代わりになる「法律万能論」になっていて、ここから一切離れられないような縛りがある。

 

だから、このへんで、二つの自由(「神の下の自由」と「神のない自由」)が分かれているんだと思う。

 

       (『ルターの語る「新しき宗教改革のビジョン」』p59〜60)

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

05291629_55681576e108f幸福実現党は、「宗教立国」「自由の大国」を標榜している。
その「自由」は、ルターの言う、「神の下(もと)の自由」である。
それは、「宗教立国」の論理的な帰結である。
 
「神のない自由」は、突き詰めれば「欲望の自由」になるが、
それをコントロールするための知恵として、
人類は「法律」を利用してきた。
 
ふくろう19しかし、「法治主義」が、行き過ぎた場合、
凶器に変ることを知らねばならない。
さらに、自殺行為にもなりかねない。
 
SE57HhuR日本国憲法にしても、金科玉条の如く、“不磨の大典”になっているが、
それは、人間が決めた法であることに変わりはない。
 

「神の下の自由」こそ、本来、神の子人間が行使すべき自由である。

それを行使することで、人間の尊厳は保たれるのだ。

 

 「経済的な繁栄を自分の裁量や才覚によって選べる自由も、
ある意味で大事なのかもしれないが、
それほど尊いものではないような気がする」

 

というルターの言葉に、耳を傾けるべきだろう。

 

Unknown

 
 
 
 
 
 
あなたが幸福でありますように。

ページのトップへ