伊田信光 幸福実現党 研修局長(兼)シニア局長 オフィシャルブログ

【原発再稼働に、「要素還元論」or「全体論」、それとも…】

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【原発再稼働に、「要素還元論」or「全体論」、それとも…】

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4月14日、福井地裁Unknownが、関電高浜原発3、4号機の再稼働を差し止める仮処分を発表した。原子力規制委員会は、事故リスクは小さいとし、裁判所は大きいとしている。その議論に、「要素還元論」と「全体論」の対立がある。
 
地域社会をそこに住む「個人」の単純合計と考えるのが「要素還元論」で、科学界の主流である。「全体論」は、要素が集まってできた全体は、要素の合計を超えた価値(例えば、文化や歴史)を持つと考える。
 
この「全体論」から、確率は小さくても、原発事故の損害を巨大に見る考えが出て、10万年に1度の確率で、地球が消滅するようなリスクを生む技術でも使うべきではないと言う飛躍した考え方が生まれ、原発反対の理論を支えている。
 
今、政治的な意思決定を下すに当り、「要素還元論」で考えるべきか、或は「全体論」で考えるべきかという、二者択一に直面しているという見方もあるが、それほど、単純なものではない。
 
images-1一つの視点が、国家安全保障上の緊急課題を原発問題が含んでいるという点である。中国、北朝鮮の侵略的軍事力の拡大に伴い、国家存亡の危機に直面するという事態が想定されるが、その視点が全く抜けている。
 
日本が侵略されて植民地化の危険がある場合に、エネルギー自給率が4%の日本はどう対処するべきかという国家判断を抜きにして、純粋に科学的な危険度、起こる蓋然性を議論するのは、あまりにも稚拙である。
現実のシーレーンを押さえられる危険度、国家消滅の危機の蓋然性と、原発の安全性を比較考量する視点も、政治判断としては必要である。
 
07231820_53cf7e65ac4c7それを議論する際には、その奥に、人間の命より大切なものを認める立場に立つのか、命を至上の価値と置くべき立場に立つのかという哲学的な問題も横たわる。その判断には、精神的自由、信教の自由を失って、奴隷的に命を永らえる生き方を是とするか非とするかという議論が必要になる。それは結局、唯物論か霊的人生観を取るかの選択、つまり、信仰の問題でもあるのだ。
 
 
さらに、「要素還元論」も「全体論」も、原発の危険度に対して、現実からスタートする議論を中心としていて、そこに未来への可能性、人間の能力に対しての期待が欠けているのも問題である。
 
現実論は大切ではあるが、科学の発展、新しい技術や、それを発見し解決する人間の能力の可能性に対する基本的な考え方にも、肯定論を取るのか、否定論に立つのか考え方がもう一つ入って来なくてはならない。それも結局、人間神の子の無限の可能性に関わる信仰の問題である。
 
このように、決定的に、「要素還元論」も「全体論」にも欠けているのが、神の視点、信仰の視点である。神がどのようにこの事態を考えておられるのかと言う考察である。そこまで考えて、真の意味で正しい判断、全体として納得できる総合的判断ができるのではないかと考える。
 
first-book01今、行なわれている原発を巡る「要素還元論」も「全体論」も、小さな世界、視野の狭いスケールでの議論であり、政治的視点、軍事的視点、哲学的視点、霊的視点、宗教的視点も含めて、やっと、大人の議論ができるのではないかと考える。これが事態を根本的に解決する革命的視点、「真の全体論」だと考える。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あなたが幸福でありますように。

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