伊田信光 幸福実現党 研修局長(兼)シニア局長 オフィシャルブログ

【出光佐三・「海賊と呼ばれた男」のモデルとなった士魂商才の経営者(下)】& メルマガ配信致します。

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514zGbVjIPL._SL500_AA300_敗戦のわずか二日後の8月17日、佐三は出光の全店員を集めて演説をした。その内容は以下の三点。

 

一.愚痴をやめよ。
二.世界無比の三千年の歴史を見直せ。
三.そして今から建設にかかれ。

 

これほどの内容をわずか敗戦二日後にした人間は日本広しと言えどもいないのではないか。

この演説はガリ版刷りにして、全社員はもちろん、友人、知人等にも配った。やがて外地から引き揚げてくる八百人の社員の為にも保存させたのだ。これが佐三の気概である。
海外の事業は全て無くなり、国内には借金だけが残った。


5106RP8VZ1L._SL500_AA300_しかし、唯一最大の資本である
「人」は残った。
人間尊重の出光は終戦で「一人たりとも首切りをしない、路頭に迷わせる事はしない」
と宣言した。さりとて、働く場所はない。仕事はないが、
「暫く各地に待機のまま眠っていよ。しかし、活眼を開いて眠っておれ」
と言って、自らは仕事探しに奔走する。
そんな中で、まずはラジオ復旧の仕事を始める。

社員には「我々はラジオの事業そのものを目的とするにあらずして、人間の真に働く姿を以て、国家社会に対して重大なる示唆を与えるものなり」と言って鼓舞した。

 

この頃の出光は、一人も首を切らない為に、手当たりしだい何でもやった。酢、醤油の醸造、水産会社、土地の開墾、印刷会社、ヤミ稼業。
日本全体が石油困窮の中で、政府はGHQに輸入を懇請したが、「日本には、旧海軍のタンクの底に廃油が残っている。あれを活用せよ。それをしなければ、輸入は許可しない」と、GHQは活用を命じる。

そこで、タンク底さらえの業者を応募するが、誰も応募しなかった。タンク底には爆発性ガスが発生していて危険で、作業の困難は間違いなく、戦時中の海軍でさえ手出ししなかったのだ。

 

message_jikihitsuの作業を、出光はチャンス到来と見て請け負う。

 

全国の八ヶ所に社員187名を投入し、タンクの中に入って、酸欠になり真っ黒に油に塗れながら、大卒も含めて社員の手作業だけで、1年4ヶ月廃油を汲みだしたのだ。
インフレの進行で、結局この仕事は570万円の赤字となるが、この英雄的な仕事ぶりで、米国は日本に石油の輸入を認める。この仕事は、石油業界全体と進駐軍や政財界からも注目され、その救国の気概と一致団結した店員の仕事ぶりは、出光の名を全国に知らしめる事になる。

その後、石油配給統制会社が解散されて、石油元売り業者の指定選定が行われる。

戦時中から石油統制に徹底的に楯突き、既得権に甘えている体制を批判していた出光に対して、卑劣な妨害は山のようにあったが、佐三の人間尊重の姿勢に共鳴する者達の支援を受け、念願の石油元売り指定を受ける事になる。

 

51cnMPS-7iL._BO2,204,203,200_PIsitb-sticker-arrow-click,Top</a><span style=その他の日本の会社はそれぞれに国際カルテル(八大メジャー)のどこかと組んでいた。それはその支配を受ける事を意味する。出光だけが組まずに刃向かい、日本としての独立自尊を守った。

 

この時、出光が踏ん張らなかったら、その後の日本は、完全にメジャーのエネルギー支配、包囲網に屈して、独立国家への道も危うくなっていただろう。

 

次の佐三の一手は巨大タンカーの建造であった。日章丸と命名された巨大タンカーが1951年に竣工された。日章丸は米国の独立系の会社と契約しながら石油を輸入するが、メジャーの妨害は続き、それを徊くぐって、日本で初のパナマ運河を使っての東海岸での買油も成功させている。
そんな時に、イラン石油の輸入話が持ち上がった。イランはイギリスに石油を支配されていたが、愛国者モサデクは国民議会を掌握し、石油国有化を宣言した。

イギリスはイランの石油販売を阻止する為に、「買って運ぶ船は盗品だから、見つけ次第撃沈する」と威嚇した。
佐三は内情を探り、イランに理がある事、米国もイランの国有化を認める方向にある事を見極めた上で、イランと秘密裏に交渉する。そして、撃沈、拿捕、倒産のリスクを考慮した後、イランを救い、メジャーの日本支配を打破して独立を守る為に、日章丸をイランに派遣する。

 

イランの石油を買う事は、独立早々の日本には恐ろしく勇気の要る行動だった。しかし、それを決行し成功させる。

 

佐三は目前の一利一害に捉われず、形而上学的な判断で動いた。41SqzPzCknL._SL500_AA300_
部下達は商売を超えて、理想と志に燃え軍隊の如く動いた。

この日章丸事件の時、佐三は69歳だった。

この成功で、出光は「世界の出光」となる。

その後、イランでの利益で製油所を次々と建設し、精製まで可能とし、石油精製販売の夢を叶える。そして、1981年3月7日、自宅で95歳で大往生する。

 

彼は「黄金の奴隷となるな」という信念を貫き、利潤は二の次にして、何よりも日本の為、国民の為を最優先にした異端の経営者だった。
「家族尊重主義」を標榜し、一人の首切りもせず、定年制もしかず、出勤簿もなし労働組合もなしという奇跡の会社を作った。

 

81dd37f7-e883-47c4-a42e-a313e295c4b5前あれほど、財を集める事を排撃して「出光は金儲けの為に出立したものではない」と言い続けていたにも関わらず、財は集まりに集まって、死後には遺産額77億円に達し、それは1956年死亡者の中で第一位であった。

 

彼の言葉は、ほとんど哲学者か修行僧のようだ。
イメージ 6のような頑固な愛国者がいた事によって、日本は守られ、今の繁栄がある事に感謝しなければならない。
今こそ、失われた日本の誇りを取り戻し、新しき出発を果たすべき時である。(完)

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