伊田信光 幸福実現党 研修局長(兼)シニア局長 オフィシャルブログ

【是川銀蔵・七転び八起き、信念を貫いた最後の相場師(下)】

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【是川銀蔵・七転び八起き、信念を貫いた最後の相場師(下)】

yjimage-1資本主義経済の機構の中で物価の変動、株価の変動に一定の法則的なものがある事を発見した銀蔵は、株式取引という天下の博打場に人生を賭ける決意をする。

 

最初の元手は妻が作って来た70円だった。それを元手に34歳で再スタートをする。売っても買っても百発百中、年末には百倍の7千円に膨れ上がった。

 その評判は人を呼び、指導を求めて人が殺到し、事務所までも用意される。36歳で是川経済研究所を設立し、株式と商品の研究指導を行う事になる。

最盛期は3度の面接で厳選した若者、50人を超える弟子がいた。関西大学の教授に請われて、大学の教壇に一ヶ月に二回立っている。

アメリカの金本位制の停止を事前にしかもその日付まで的中させたのは彼しかいない。

 

国際経済の流れを体系的に比較し、資料を徹底的に分析した結果、そこから生じる変化を先取りして判断していく、是川流の基本的な哲学と勉強法が導き出した結論であった。

 

 「やると決めたらどんな困難があってもやり通し、やっていけない事はどんな誘惑があってもやらない、このぐらいの強い意志がなければ、自分のカネを賭けて相場を張る事はできないと思ったほうがいい。
…相場を口にする時は、これまで一度でも思いつきでしゃべった事はない。

 

ふくろう13…私は厳密に経済を分析した結果、その判断に基づいて相場の動向を発表している。
相場を張るのはバクチでも賭けでもない。ちゃんと実勢経済に裏打ちされた経済行為なのである。」

 

yjimage-4国際情勢を分析した彼は、米、英、ソ、中国の日本包囲網の共同戦線が始まったと直観し、軍部、財界に戦争不可避を進言した。

そして、軍事力強化の為に、日本に鉄鋼資源の開発が急務である事を訴え、未開発資源を求めて朝鮮に渡る。地質研究所へ毎日通い詰め、地質学と鉱床学を独学で勉強し、鉱山開発の知識を徹底的に吸収した。

そして、1941年秋から無煙炭使用の小型溶鉱炉による製鉄の研究を始め、翌年是川製鉄を設立する。会社は小型鉱炉10基、従業員3千人、下請けを含め1万人の朝鮮有数の大企業となる。

是川鉱業、是川製鉄、北鮮開拓興業の三つを朝鮮半島で経営し、国策会社のドンとして事業を拡大した。

 その時に、朝鮮総督としてお世話になった小磯国昭が、東条英機の総辞職で1944年7月に首相になると、入閣も要請されたが、時既に遅しと判断し断る。

 敗戦で、朝鮮における是川グループの三事業は消え失せる。

全ての財産も没収され、軍国主義者として、朝鮮の臨時政府に逮捕される。

ところが、会社の朝鮮人の社員から助命運動が起き、数百名の署名が集められ、是川銀蔵を絞首刑にしたら、朝鮮新政府の名折れだと嘆願されたのである。
銀蔵が、朝鮮人を差別せず、給与も役職も、その能力に応じて平等に待遇していたからである。

 

イメージ 2ゼロからの出発。帰国直後の新聞で見た、マッカーサーの日本国民に告ぐという布告文にある「食料の生産能力、資源の分布からして、日本の適正人口は4千万人だ。日本復興の為にまず第一に人口制限をやれ」という言葉に激怒する。

 

「ワシは人口が一億人になっても食料が自給できる体制を作ってやる」と決意し、米の二期作を研究する。

 

農業試験場と気象台に2ヶ月通い詰め、その方法を開発し、二期作を成功させた後、再び、株式市場に63歳でカムバックする。

 

彼は絶対に失敗しない、「カメ三則」に従って堅実に成功を積み重ねていく。

1.      銘柄は水面下にある優良なものを選んでじっと待つ事。

2.      経済、相場の動きからは常に目を離さず自分で勉強する。

3.      過大な思惑はせず、手持ち資金の中で行動する。

 

yjimage3百万から始めた株式投資は、堺の不動産の先行投資で3億円に、そして、セメント株の暴騰を予測し、30億円に膨れた。

そこで20億円を拠出し、子供の頃からの悲願である、貧しい子供達の勉学の為に、是川奨学財団を設立する。

 

その後、菱刈金山に関わる仕手戦で、半年で2百億円の資産を作り、1983年には申告所得額28億9千万円で長者番付一番となる。天下取りは84歳だった。

 

イメージ「人間には、一生の内、2度や3度のチャンスはある。それを生かすか殺すかの決断の為に、日常の努力と精進、そして真面目といった理論と実践を通じて、日夜思考の訓練を重ねる事が成功への確立を増進する。その為に数多くの真剣勝負を経験し、勝負勘を養う事だ。」

 

yjimage-2『相場師一代』のあとがきには、「『誠と愛』を自分の処世訓として、若い時から一貫して今日まで生きてきた。

 

私の仕事は株式投資であり、株の売買でこれまでの人生を送って来た。
株で儲けたカネは、世の中の恵まれない子供達の為に使いたい。
これが私の生きがいなのだ。」…95歳で最後の相場師は逝く。(完)

 


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