伊田信光 幸福実現党 研修局長(兼)シニア局長 オフィシャルブログ

【バカであることの幸福】

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【バカであることの幸福】

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q3wnvgc5本書で卑弥呼は、「バカであることの幸福」をあえて説くことにより、現代社会が崩壊していくことをくい止めようとしているように思われる。

 

言葉を切り換えるならば、男女が「単一性化」していくことが「バカ」であると言っているのである。

 

その趣旨は、ヒルティが『幸福論』の中で、「神のそば近くにいること」の幸福を最高位に置いたのに対し、「神様が来てくださって、一体になる感じ」が自分の幸福であると述べることによって、ヒルティの『幸福論』を軽々と超えてしまったところにも見受けられる。

 

彼女にとって神と自分は別個のものではなくて、本来一体のものなのである。

 

その言葉の中に、信仰と政治が本来一体であるべきことへの深遠な真理が述べられていると思う。

          (『卑弥呼の幸福論』信仰・政治・女性の幸福 あとがきより)

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現代社会の崩壊の原因は、神を見失ったからである。

人間が“賢く”、“偉く”なったからである。

それを卑弥呼は、神を信じて身を投げ出す「バカ」な生き方で、救おうとしている。

これこそ、真に賢い生き方である。  

この世の権利を主張し、男女平等を唱え、男女の単一性化を目指す方向は、結局、なぜ、神が男女の性を創られたかを考えない“バカ”な生き方なのだ。  

ヒルティの「神の側近くにある幸福」は、残念ながら、神と一体ではない。

 

卑弥呼の説く「バカであることの幸福」は、神仏と一体になる幸福である。
そして、その悟りは、「神我一如」「自他一体」にまで到る。
自分の小ささ、愚かさと、仏神の偉大さを真に知り得た者が、「バカ」になれ、 仏神に身を委ねることができる。

 

  そして、仏神からの愛を受けた実感を持つ者が、その愛を人々や社会に流していけるし、信仰と政治が本来一体のものだと、本当に分かるのである。

自己保身に汲汲し、名利を求める政治家は、「バカ」になることができない。

それ故、真の政治もできないし、仏神に身を任せた「バカ」の幸福を味わうこともできない。

 

  ふくろうくん26時代は真実の「バカ」を求めている。

 

今こそ、バカ一の如く進もうではないか。そこに、真実の幸福も、真の政治も、ユートピア世界も現れる。

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