伊田信光 幸福実現党 研修局長(兼)シニア局長 オフィシャルブログ

【トヨタ王国、守成と創業の離れ業-豊田喜一郎】

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【トヨタ王国、守成と創業の離れ業-豊田喜一郎】

515-nSJlvsL._SL500_AA300_田喜一郎(1894~1952)は、トヨタ自動車の生みの親でありながら、父、豊田佐吉の名前に隠れて、佐吉ほど有名ではありません。

もちろん、佐吉は日本の繊維産業を立ち上げ、明治維新の富国強兵へのレールを引いた立役者の一人であり、日本の発明王でもあって、その偉大さは言うべくもありません。
しかし、喜一郎は佐吉の後を受けて、Rizaburo_Toyoda豊田利三郎、石田退三らと共に豊田織機の発展に貢献しつつも、さらにトヨタ自動車という第二の創業をなし、戦後の日本の繁栄の礎を築いた人物として、その偉大さをもっと評価されるべきです。

豊田1106018421120625d喜一郎は、浜名湖の西、東海道線鷲津の駅からタクシーで10分程度で行ける豊田佐吉記念館のあたりで、佐吉とたみの長男として1894年に生まれます。
発明を志す佐吉は大工の跡継ぎにしたい祖父伊吉との確執で、結婚後まもない妻たみを置いて家を出ます。

たみが発明家佐吉の心が理解できず実家に帰った為、喜一郎は祖父母に預けられ、3歳まで祖母えいに育てられます。

喜一郎の内に秘めたる情熱はあっても、どこか一歩引いている内向的な性格は、この家庭環境に影響を受けているのでしょう。

3歳の時、佐吉は再婚し、喜一郎は一緒に親と住む事になります。豊田佐吉と喜一郎の生家跡を復元しているこの記念館は、今、トヨタグループの新人なら必ず参拝する聖地となっています。

トヨタは、佐吉の遺訓を基に、豊田綱領を奉じていますが、その綱領には、

一.上下一致、至誠業務に服し、産業報国の実を挙ぐべし。
一.研究と創造に心を致し、常に時流に先んずべし。
一.華美を戒め、質実剛健たるべし。
一.温情友愛の精神を発揮し、家庭的美風を作興すべし。
一.神仏を尊崇し、報恩感謝の生活を為すべし。

と、ありますが、喜一郎はその薫陶を受けながら育ちます。

 

o0551039311828515019伊吉も佐吉も、熱心な日蓮宗の信者であると同時に、二宮尊徳の教えを実践する報徳教の信者でもあり、仏神を敬う心が、喜一郎の精神の基となっています。
佐吉は、自動織機の開発で繊維産業を立ち上げましたが、喜一郎には自らが経営で苦労しただけに、事業経営を学ばせようとしました。

しかし、喜一郎は、佐吉の発明家の資質を色濃く受け継いだエンジニアの魂でもあったのです。
彼は仙台の第二高等学校甲組工科へ進み、卒業後、東京帝国大学に入学します。

 

大学卒業後、p_3_3喜一郎は佐吉の元で自動織機の研究開発に取り組みます。彼がリーダーとなって完成させたG型自動織機は海外でも高く評価されました。

しかし、彼は自動織機の成功に満足していませんでした。既に時代は軽工業から重工業に移りつつあり、自動車工業が将来的に経済の中心になる事を見抜いていたからです。

32歳の時には、将来豊田が自動車に進出する事を夢として語っています。彼は欧米の視察で、自動車産業の立ち上げ構想を練りあげています。

帰国すると、豊田自動織機は業績不振に陥っていました。

1929年の世界恐慌fiber02-p03は日本にも波及し、不況が深刻化していたのです。もはや自動織機だけでは生き残る事はできないと判断した喜一郎は、事業の多角化を目指して精紡機の研究を進め、1931年、画期的なハイドラフト精紡機を完成させ、大量の受注が呼び込み、会社は危機を脱して、繊維機械の総合メーカーへと発展します。

 

しかし、喜一郎はそれに満足せず改良を重ね、1937年までに32件もの特許・実用新案権を取得しています。彼は同時に自動車事業進出に向けて準備を進めていました。

その頃、日本ではまだ自動車工業はゼロに等しい状態でした。1925年、フォードは横浜に工場、翌年には、GMが大阪で自動車生産を開始し、圧倒的な技術力と資本力を持つアメリカの自動車会社は、瞬く間に日本の市場を制覇します。

日本がこれから世界の一流国になる為には、どうしても自動車産業が必要だと考えた喜一郎は、アメリカ車に対抗できる国産乗用車を作る事を決意します。

51Z32FTHJPL._SL500_AA300_yjimageしかし、国産車を作るには莫大な資金を必要とし、本体の豊田自動織機を危うくするような、大財閥でも手を出せない危険な事業でした。しかし、日本の繁栄を願う愛国心と技術屋魂は、その情熱と信念で障害を乗り越え、大トヨタの礎を築きます。

その過程は、書籍では「トヨタを創った男 豊田喜一郎」、映画では、松本幸四郎主演の松竹映画「遥かなる走路」(1980)を御覧下さい。

 

「一人一業」という豊田家の家訓を護った喜一郎は、守成と創業をやりました。
「まずやってみよ。失敗を恐れるな」と言う佐吉の言葉は、喜一郎の指針でしたが、文明の最先端に立つイメージ 3日本人に今必要な言葉でもあるでしょう。
トヨタの繁栄は、神仏を敬い、発明で国家の繁栄に貢献したいという佐吉と喜一郎の国家報恩の志と、自助努力の精神が結実したものです。見習いたいものです。

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