伊田信光 幸福実現党 研修局長(兼)シニア局長 オフィシャルブログ

【「踊りたい一心」 フラメンコのパイオニアー香取希代子】

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【「踊りたい一心」 フラメンコのパイオニアー香取希代子】

イメージ 2また、一人、日本のパイオニア、ときめきシニアを見つけました。フラメンコの舞踊家香取希代子さんです。香取さんは、1911年にいわき市で生まれ育ちます。父は、入山採炭の建築技師でした。幼い頃から踊りが大好きで、女学校時代は周りから「体操とダンスが得意」と認められていました。卒業目前のある日、母の婦人雑誌をめくっていて、留学から帰国したモダンダンスのパイオニア・高田せい子さんの記事を読み、「寝ても覚めても踊りの虜」、踊りにとことん魅せられます。

進学を理由に東京へ出て、初めは和洋専門学校に通いながら、卒業すると文化服装学院で学びながら、家族には秘密にして舞踊研究所に通い始めます。しかし、学院の卒業間近、両親に踊りの事を知られて、いわきに連れ戻されます。

それでも踊りを諦めず、月謝を全部つぎこんで見に行ったアルヘンティーナのスペイン舞踊で、眠れない幾夜を過ごす程の感動に打ち震えます。スペインとの魂の出会いです。風呂敷包みを一つ抱えて家出し、松竹少女楽劇部(のちのSKD)に入り、バレエ、ジャズ、モダン、タップ、日本舞踊、世界の民族舞踊等を踊りました。しかし、思いは決してスペイン舞踊から離れませんでした。

イメージ1937年、26歳でダンサーの横山公一さんと結婚。ちょうど日中戦争が始まった年で、2年後には第二次世界大戦が起こり、終戦まで夫婦で戦地を慰問して回りました。終戦後は米軍キャンプを慰問して回っていたのですが、知り合った将校が4冊組の本『ダンス・オブ・スペイン』を取り寄せてくれ、またスペインの糸が結ばれます。これは、本場のフラメンコの舞台が、日本で初めて行われる10年も前の事です。

1947年、東京都中野区野方に横山・香取舞踊スタジオを開設します。そして、長年の夢が叶い、1962年、51歳の時に、スペイン政府の招聘で留学します。この時は、教えてくれるという人がいれば名もない人にも御願いして貪欲にフラメンコを学びました。58歳で、さらに半年留学した時にはフラメンコギターも学びます。その後は、10回以上、スペインに行って学んでいます。

 

img_0めてのスペイン留学からの帰国後、映画「フラガール」の舞台になった、常磐ハワイアンセンターでダンスを踊る娘達の教育を依頼されます。「やるなら学校をつくってほしい。基礎からちゃんと教えたい」と助言し、常磐音楽舞踊学院が創られます。
そこで香取さんは、ほとんどが踊りの経験のない娘達にフラメンコを教えました。映画「フラガール」で炭砿の娘達に踊りを教えた平山まどか先生のモデルの1人が、実はこの香取さんだったのです。フラガールは、フラダンスのみならず、全員がフラメンコを学んでいたのでした。

イメージ 1「こころが大切なの」舞踊家・香取希代子さんの口癖でした。フラメンコは魂とリズムの踊りです。踊り手の思いを個性的に表現し、情熱を内に秘めながら一瞬の魂の輝きを表現し、芸術の域にまで昇華していく事を目指します。それには、何より踊り手の精神性も高める事が大事なのです。この信念を持って、香取さんは踊りだけでなく女性としての振る舞いも含め、自分自身の姿で娘達に指導したのでした。

香取さんは、フラメンコを日本に普及させた第一人者です。日本では誰もフラメンコなど知らなかった時代に、手探りでフラメンコ舞踊を勉強し、多くの後進を育て、今日の日本のフラメンコ隆盛の礎を築いた功労者の一人です。日本フラメンコ協会名誉会長も長らく勤めておられました。

 

41ci-h4iPsL._SL500_AA300_『85歳、しなやかにフラメンコ』から、香取さんの言葉を取り出してみます。

 

「踊りは、人間性だと思う。踊りの中に、人間性-「心」が出て来る。踊りには、心が欲しい。色々な方が色々な角度から見るだろうけれども、どんなに芸術が見事だと言っても、やはり最後に取り出されるのは人間性。どんなによく踊れても、中が空だったら何にもならないないだろう。」
「なぜ踊るのか、ということがわからないと、本当の踊りはできないはず。ただ動くのでなく、心の内に持っているものが出てきて初めて、人を惹きつけ、人様に何かを与えることができるのではないかと思う」
「心の豊かさは大事にして来たつもりだ。自分の心が豊かなら、人を豊かにして上げる事もできる。失敗の中からも人は何かを学ぶもの。私の失敗多き人生の物語から、女の、一人の人間の幸せのようなものを感じ取って頂けたら、とても嬉しい。

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「フラメンコに惹かれて60余年が過ぎた。でもいまだ、その歴史と共にその真髄は掴めていない-と言うのが、私の本音だ。…私はきっと棺桶の中にも、踊りながら入っていくのではないかと思う。あの世に行っても、踊っているかもわからない。

 

_香取さんは、エスペランサ(希望)・ピラール(柱)という洗礼名をお持ちの敬虔なカトリック信者です。「しなやかにフラメンコ」。動くという喜びの中に自分を見出し、内なる思いを体で表す事で自己表現してきた香取さん。この言葉が、香取さんを表す象徴であり、生き様であり、信仰と愛の表現だったのだと思います。2007年、日本のフラメンコのパイオニア、日本とスペインの架け橋となった舞踊家は、98歳でなくなります。

今、新時代のパイオニアが求められています。香取さんは、そのお手本です。


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