伊田信光 幸福実現党 研修局長 オフィシャルブログ

【反骨の経済の神様ー経済評論のパイオニア・高橋亀吉】

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【反骨の経済の神様ー経済評論のパイオニア・高橋亀吉】

takahashi_pict高橋亀吉は1891年、山口県徳山村西町の船大工高橋源蔵の長男として生れます。幼児期に小児麻痺で左足に障害を起こし、障碍者としての人生のスタート切ります。読書欲の盛んな亀吉は、児玉源太郎大将の旧邸の「児玉文庫」で書籍を貪るように読み、小学校の高学年では、新聞を取っている家を回って4〜o04800359116475645835紙の新聞を読み漁りました。後年の亀吉の独学の始まりです。

10歳を過ぎる頃、家業の造船業が急速に衰退するようになり、彼は商人になる事を志します。しかし、進学は諦めざるを得ず、商業の中心地大阪で丁稚奉公をしながら商業を学ぼうとし、親を説得して15歳の時に決行します。

しかし、fukuro16奉公先の袋物問屋の前途の発展性に疑問を持ち、16歳で叔父を頼って朝鮮に渡り、新天地で一旗上げようと決心します。彼は釜山に着くと朝鮮語の本をすぐ買い込み、語学勉強を始めています。ハングルで日記を付け始め、熱心に勉強した為、後には通訳が出来るようになります。

主人の塩田内蔵太郎が亀吉の性格を見て自由に商売をさせた御陰で、商人の実力を付けます。主人の命令が間違っていると思った時は、「私は商売道に使われているので、主人に使われているのではない」と自論を貫いています。

転機は、日本の商社が進出し小規模店の憂き目を見て訪れます。「商業らしい商業をやるには、大資本を即ち、他人資本を使う身にならなくては駄目だ」と悟り、その道を切り拓くには、大学を卒業するしかないと考えるようになります。

fukuro13新聞広告で早稲田の通信講義録を知り、二年間の通信講義の過程を終了すれば、英語の入学試験だけで特殊学生として入学でき事を知った彼は、計画を実行します。第一は学資の確保です。当時で900円貯められれば、自炊で卒業できると目算を付けた彼は給料、賞与一切を貯蓄に回します。

また、独学の為の時間を捻出し、通信商業講義録と英語の通信講義録を取り寄せ、毎日3〜4時間の睡眠で勉学に励みます。北朝鮮の零下20余度の夜に寒さも眠さも物とせぬ姿勢は鬼気迫る物でした。そして、見事難関を突破します。

主人も認め、21歳の時に早稲田大学商科予科に入学します。早稲田では精進を重ね、予科卒業は500余人の首席、本科は二番で卒業します。恩師の伊藤重次郎教授から「大学に残って学者になる気はないか」と勧められ、その気になったものの、当時の商科長田中穂積が反対した為、御流れになります。

彼は当時日fukuro18の出の勢いのあった久原鉱業株式会社に入社します。しかし、自主性と自由性のない生活に嫌気がさし、大会社勤めはどこでも大同小異、自分の実力を発揮できないと、わずか1年半で退社します。

そして、27歳の時、恩師伊藤の紹介で、東洋経済新報社に入社します。会社では編集長の石橋湛山から理論を演繹的に展開していく独特の手法に大きな刺激を受けます。しかし、入社後1年も経つと仕事に追い回されて、経済の勉強が出来ない事に不満を持ち、再び煩悶する事になります。

そして、ある日、突然の閃きが起こります。kokufuron1「経済学者の鼻祖アダム・スミスは、どうして経済学を学んだか。彼には学ぶべき経済学書はなかったはずである。彼は現実の経済事象と取り組んで、これを分析し、総合して帰納的に経済学を樹立したのである。」この開眼で、これまでの煩悶は一度に霧散します。これが独自の高橋経済学の始まりでした。

33歳の時の処女作sim『経済学の実際知識』は10万部のベストセラーになり、東洋経済新報の編集長になります。その後、35歳で退社し日本初のフリーの経済評論家となります。当時、評論家の地位は非常に低く、勇気ある決断でした。

1932年からは高橋経済研究所を創立し、top3『高橋財界月報』を刊行して経済評論で多くの影響力を発揮していきます。石橋、池田、佐藤、三木、福田等歴代首相がしばしば経済政策問題で教えを乞うています。

そして、86歳までの半世紀の評論家活動で、120冊の本を纏めています。彼の経済予測は殆ど神業のごとく的中しました。それ故に、経営の神様は松下幸之助、経済の神様は高橋亀吉と言われています。

彼の経済学は51-iKnzzb3L._BO2,204,203,200_PIsitb-sticker-arrow-click,TopRight,35,-76_AA300_SH20_OU09_実践経済学」と呼ばれています。常に在野の評論家として、きな臭く混沌とした経済の現場から観察し、解り易く的確な判断を下していたからです。

9502d0920ea0a3bdc3091210.Lの魅力の第一は、その議論が、強い時論的な性格を持ち、先験的、預言的な内容を持っている事。

第二は、その預言の的中率が高かった事。

第三は、独自の判断の方法論を持っていた事。高橋経済学には、日本経済誌研究という重みのある歴史研究があり、また長年の波乱の経済の中で実体験で鍛えられた独特のカンとコツがあったのです。(『エコノミスト高橋亀吉 生涯現役』)

彼は、多くの人に愛されました。その秘密は、反骨精神と平等精神、その権力におもねらない在野精神と誰にも対しても公平に扱う心の温かさです。

そして、生涯現役人生の秘訣は、その衰えを知らぬ好奇心・研究心と独立自尊の精神です。経済評論のパイオニア・高橋亀吉、創造的な生涯現役人生のお手本です。
現代日本に対すyjimageるアドバイスは、大川隆法『新・高度成長戦略』の中の公開霊言で述べられています。ぜひ、こちらも御覧下さい。

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