伊田信光 幸福実現党 研修局長(兼)シニア局長 オフィシャルブログ

【幸福になりたいのか、なりたくないのか。】

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【幸福になりたいのか、なりたくないのか。】

カテゴリ ミネルバの泉

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5hbkqri4要するに、「日本に原罪があり、日本は悪だから滅びてもしかたがないのだ」というような考え方が裏にあるのではないでしょうか。

これに対しては、「かつての古代ユダヤのように、バビロン捕囚という感じになっても構わないのか」と問わなければなりません。

「『日本が軍事力を行使できないうちに他国に蹂躙されてもしかたがない』というところまで認めているのか。それをもって、平和と言っているのか」ということです。

要するに、「サブミッション(服従)をもって平和と呼んでいるのかどうか」ということですから、これは価値観の問題、哲学の問題であるし、正義感の問題でもあるかと思います。

          (『「集団的自衛権」はな世必要なのか』p41〜42)

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「日本に原罪があり、日本は悪だから滅びても構わない」という考え方がある。それを信じるなら、侵略され、陵辱され、略奪されることを、望んでいるのだ。

そんなあなたは不幸になるしかないと言おう。

真理は鏡である。見たいものを見ているにすぎない。

 

九条を死守する人々は、何よりも命が大事だと考え、そこから全てを始める。

「憲法解釈で集団的自衛権を認める事になれば、自衛隊に死者が出るが、それでもいいのか」と人々に迫る。

 

命は大切ではあるが、命よりも大切なものがあることを知らなくてはならない。

服従すれば、“平和”は保たれるという考え方は、裁きの神の考え方である。

服従を“平和”と呼ぶのは、価値観の問題、哲学の問題、正義感の問題であるが、本当にそれでよいのか、自分に問わなければならない。

 

愛の神を信じ、人間の尊厳を信じ、無限の可能性を信じ、自由と繁栄の価値を信じる事なくして、人間は本当に幸福には生きられない事を悟るべきである。

自由の中に、繁栄の中に、真の平和が築かれることを悟るべきである。

 

イメージ 48まず、幸福になりたいのか、不幸になりたいのか、それを決めるべきだ。

幸福になりたいなら、幸福になる考え方を取るべきである。

日本に原罪などない。日本は繁栄すべきであり、繁栄の中に平和を築くべきだ。

 


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