伊田信光 幸福実現党 研修局長 オフィシャルブログ

ミナばあちゃんの「奇跡の豆腐」…絶対食べたい! 

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ミナばあちゃんの「奇跡の豆腐」…絶対食べたい! 

1518773_213087698879855_828271101_oNHKで、小山田ミナさんの事を知りました。岩手県二戸市浄法寺町の山奥に一人暮らしで住む小山田ミナさんは、現在81歳です。月刊ガバナンス1月号巻頭グラビアで小山田ミナさんの豆腐作りが4ページに亘って紹介されてから、彼女の創る「奇跡の豆腐」が大評判になっています。

自分で育てた大豆、石臼、岩誦坊の水、天然にがりで作った手作り豆腐は1日24丁のみの販売です。1丁180円、全部を売り切っても4320円の売り上げ。経費を除けば、どれだけ残るのか。朝5時から夜の6時まで働き詰め。薪も自分で割り、石臼も1時間自分で轢き、手間ひまかけて、たった24丁の宝石のような豆腐ができるだけです。その豆腐の味は絶品、香りもあり、舌触りは絹ごしのような木綿豆腐。こんな宝石ができるには、多くの縁起が働いているのです。

彼女は、9歳の時に左目の視力をわずかに残し、右目を失明します。白内障と言われましたが、手術をするお金はありませんでした。中学を出ると両親の農業を手伝います。

イメージ 6その後、結婚して、1960年、ご主人が開拓入植したので、28歳で二戸の山奥に住む事になります。子供も二人生まれて、見えない目で苦労して育てますが、肉の代わりに豆腐を食べさせたいと思って、30歳から豆腐作りを手がけます。
目の見えないミナさんは、豆腐の水分は手で豆腐を叩いて図り、にがりの分量は豆腐が固まって来る感じをかき回す棒の感触で確かめていました。そこで作った乾燥豆腐が大ヒット。山の中で豆腐を30年作り続けます。

そんな矢先、O157が全国的イメージ 2に問題になり、山奥のミナさんの所は許可が出なくなったのです。そこで、豆腐作りは一旦辞めたのですが、その後営業再開を3年間迷い続け、家族や常連さんの励ましもあって再開します。

そんな中、角膜移植の話が持ち上がり、2002年手術をして成功します。ミナさんをずっと支えたご主人は手術の成功を見届けた後、翌年他界されます。

1795704_213087688879856_724750329_n彼女の作る豆腐は「感謝の豆腐」なのです。豆腐作りは家族や自分の人生に関わって来た多くの人たちへの感謝行なのです。2年前骨折した時も、2ヶ月間休んだだけで、豆腐作りを再開しています。彼女が毎日創る24丁の宝石のような豆腐を求めて、県外からも山に登って来られる方が沢山います。

彼女は目が見えるようになって自分の創った豆腐がこんなに白かったんだ」と感動したそうです。そして、今は「買いに来てくれた人が手を振ってくれるのが見えるのが何よりも嬉しい」とミナさんは思うのです。

イメージ彼女は豆腐作りが趣味だと言います。彼女が大切にしている言葉は、「一つの仕事を大切にする」です。ミナさんは、人が究められるのは一つの仕事しかないと考えているのです。

ミナさんは一ヶ月に3回、タクシーを呼んで、街に買い出しにいきます。それ以外は、朝5時から夕方6時まで、感謝報恩を胸に、黙々と豆腐作りに励んでいます。今、この瞬間も淡々と石臼を轢いているかもしれません。

イメージ 85近所にほとんど誰も住んでいない山の中で、多くの人々の幸福に貢献しているミナさんの姿に、一つのときめきシニアのあり方を見出します。
「奇跡の豆腐」は「感謝の豆腐」ときめきシニアの仕事のあり方、成功の秘訣が、ここに示されているように感じます。

 

(写真:月刊ガバナンスより)


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