伊田信光 幸福実現党 研修局長(兼)シニア局長 オフィシャルブログ

【東京裁判でただ一人、被告全員の無罪を主張したパール判事】

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【東京裁判でただ一人、被告全員の無罪を主張したパール判事】

ラダ・イメージ 75ビノード・パール’1886年〜1967年)は、インドの法学者、裁判官、コルカタ大学教授、国際連合国際法委員会委員長を歴任。ベンガル人。

1886年にインド・ベンガル州に生まれ、父親はパール3歳の時に死亡、母親は子供達を一人で育て、インド独立の為に息子を法律家にしようと考えます。

1911年にカルカッタ大学理学部、法学部を卒業し弁護士になります。1923年、カルカッタ大学法学部教授に。その後タゴール記念法学教授、インド植民地政府の法律顧問を経て国際法学会総会議長団に選出されます。

1941年、カルカッタ高等裁判所判事に就任し、カルカッタ大学総長に。そして1946年、極東国際軍事裁判でインド代表判事に。その後、国際連合常設仲裁裁判所判事、ナショナル・プロフェッサー・オブ・ジュリスプルーデなどを歴任し、1960年、インド最高の栄誉であるPADHMA-RRI勲章を受章しています。

1966年4度目の来日の際、昭和天皇から勲一等瑞宝章を授与されます。

パーイメージ 69ル判事は、極東軍事裁判(東京裁判)で11人の裁判官の中、ただ一人敢然とA級戦犯全員の無罪を、条理を尽くし、国際法に照らして主張した裁判官として、歴史に燦然と輝いています。(通称「パール判決書」)それは、20世紀の重大な発言であり、人類の良心の宣言です。

イメージ 6法律のない所に犯罪はなく、法律のない所に刑罰はない。」これは、法治社会の初歩的な原則。法律なくして人を裁き、処罰する事は、野蛮時代の私刑(リンチ)と変わりません。

法律の無い所に無理に裁判所条例を創り、法の不遡及の原則までも無視して裁いたのが「東京裁判」です

パール判事は「復讐の欲望を満たす為に、単に法律的な手続きを踏んだに過ぎないというようなやり方は、国際正義の観念とはおよそ縁遠い。こんな儀式化された復讐は、瞬時の満足感を得るだけのものであって、究極的には後悔を伴う事は必然である。」と言っています。

パール判事は、法の権威、裁判の威信、人類の正義と真の平和を守らんが為に、この裁判の欺瞞性を完膚なきまでに追究したのです。この博士の正論は、今では、国際法学会の定説となり、国際法の教科書の中にも採用され、パール判事は国際連合国際法委員会委員長を歴任することになります。

『パール判事の日本人イメージ 71無罪論』(田中正明著)を、ぜひとも読んで頂きたいと思います。パール判事の高邁な精神に打たれると共に、この存在に心からの感謝と敬意の念いを持たれると思います。

そして、今こそ、間違った歴史観を正し、真実を明らかにすべき時だと心からの義憤に駆られると思います。

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(田中正明編、ラダビノード・パール博士『平和の宣言』東西文明社より)

「日本の外務省は、わざわざごていねいに英文パンフレットを出して、日本の犯罪を謝罪し軍事裁判の御礼をいっているんだから、東洋的謙譲の美徳もここまでくるとなさけなくなる。

正しいことをどうして正しいといえないのか、間違っていることをどうして間違っていると指摘できないのか」

モーン卿(政治家)は、現在では次のように告白している。

「チャーター(憲章ー裁判所条例)は決して国際法を規定したものでもなく、また戦争犯罪というものを規定したものでもない。

ただたんに裁判にかけられたわずかな人たちをさばくためのみつくられたチャーターであった」と。

日本人はこの裁判の正体を正しく批判し、彼らの戦時戦略にごまかされてはならぬ。

 日本人が過去の戦争において国際法上の罪を犯したという錯覚におちいることは、民族自尊の精神を失うものである。

 自尊心を失った民族は、強大国に迎合する卑屈なる植民地民族に転落する。

 日本は、連合国によって与えられた“戦犯”の観念を頭から一掃せよ。

その国が滅びるとき、その思想がまず崩される。しかも巧妙なる宣伝—映画、ジャーナル、スポーツその他を通じて・・・・・が張りめぐらされている。この陥穽におちいってはならぬ。

 どうか日本の伝統の上にたち、伝統を通じて一切を推進させていただきたい。

歴史を明らかにイメージ 6する時が来た。そのためには東京裁判の全貌が明らかにされなくてはならぬ。

・・・これが諸君の子孫に負うところの義務である。

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