伊田信光 幸福実現党 研修局長(兼)シニア局長 オフィシャルブログ

がむしゃらの、思いが開いた、107歳

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がむしゃらの、思いが開いた、107歳

嘉納愛子さんは、1907年イメージ 2大阪府に生まれ、東京音楽学校卒業後、山田耕筰氏に師事し、日本歌曲を学びます。山田耕筰氏と共に演奏会やNHK大阪放送局に出演し、音楽活動を行ないます。1934年に結婚し、一時音楽活動を休止しますが、12年のブランクを経て、相愛女子大学音楽科の講師、教授になり、大阪樟蔭女子大学、大阪芸術大学でも、声楽を教えて来ました。嘉納さんの元には、今も、「歌を聴いてほしい」と指導を求めにやってきています。今、107歳の嘉納さんは、現役最高齢の声楽家として有名です。

 嘉納さんの若き日は、西洋音楽はまだ日本では受け入れられていない時代でした。西洋音楽をやりたいと言った時、父は絶対駄目だと猛反対したと言います。それを、「音楽学校を受けさせてくれなかったら死にます」と親を脅して意志を貫いたのです。

どうしても音楽の勉強をしたかったという好きの一心で、音楽学校では、レッスン、レッスンで猛勉強したそうです。

ラジオイメージ放送で出演し、高額の出演料を貰っても、嘉納さんは、「将来、歌で食べていきたいとか、有名な歌手になりたいと考えた事は一度もありません。純粋に、もっともっと上手になりたいと言う気持ちで、歌を歌い続けていただけでしたから」と言います。

27歳で山田耕筰の友人嘉納哲夫と。嘉納の家は神戸の御影にある指折りの旧家で「歌を歌ってお金を稼ぐなんて、はしたないことだ」という考え方の為、結婚を機に音楽活動はぴたりと止めることになります。そして、1945年の空襲ですべてが灰になります。そして、疎開。翌年帰宅して、一から始めようとした矢先、息子を11歳で亡くします。2年間の空白の後、相愛大学の学長から「声楽を教えてくれないか」を声が掛かります。12年の空白期間を経て、また、音楽に没頭する日々に入っていきます。

嘉納さんイメージ 1は言います。「人に教えるのは面白いものです。仕事と言うよりは、この子を上手にしたいという気持ちです。…私は山田先生に教わったことを生徒さんたちに伝えています。それは歌の心です。なんといっても、詩の心が一番大事。歌は、詩の心が解らなかったら、人に共感を与えられません。詩の心を自分で感じる事が出来なかったら、人に伝える事はできません。その詩の心を目の前にいる人に、語るように歌って伝えるんです。」

イメージ 3私はずっと歌を歌って来たけれど、自分の歌に満足したことはありません。いつも、もっと上手に歌えるようになろうと思っています。だから続くんですね。…歌は何歳になっても歌えるものです。20代、30代、40代……と年齢によって声も違えば、詩をどのように感じかも違います。90歳には90歳の声があり、感じ方がある。だからいくつになっても歌は面白いんです。」

「打ち込むものは、自分でつくらなきゃ。何かについて、「才能のある、なし」なんてことは自分ではわからないものです。だから、打ち込めるものを見つけて、がむしゃらにやってみるだけ。がむしゃらにやっていれば、世間が自然にいいところを引き出してくれるものですよ。」

現役最高齢の声楽家、嘉納愛子さんには、末長く御指導を続けられることを心から願って止みません


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