伊田信光 幸福実現党 研修局長 オフィシャルブログ

「永遠の妖精の、最高の勝利とは・・・。」

Home / ときめきシニア / 「永遠の妖精の、最高の勝利とは・・・。」

「永遠の妖精の、最高の勝利とは・・・。」

イメージ 771929年5月4日ベルギーのベリュッセルでイギリス人の貿易商の父とオランダ貴族出身の母の下に生まれ、5歳の時に戦争のためイギリスへ渡りロンドン郊外の寄宿学校に在学し、10歳の時、両親が離婚したのをきっかけに、母と共にオランダに移住しバレエのレッスンを始めました。
第二次世界大戦中、ドイツのオランダ占領に対する抵抗運動に参加し、資金集めのためにバレエを踊りました。叔父と従兄弟はドイツへの抵抗者だったため、オードリーの目の前で銃殺、異父兄弟もドイツの強制収容所に送られ、オードリーも栄養失調により重体になりました。アンネ・フランクとオードリーイメージ 80は同い年で、戦後アンネの事を知りひどく心を痛めたようです。
その後1948年ロンドンのバレエ学校に入学し、プロとして舞台デビューを果たします。
以降、数本の作品に出演した後、1951年、撮影中に『ジジ』の原作者であるコレットに見いだされ同作のブロードウェイ公演で主役に抜擢されました。
その舞台を見たウィリアム・ワイラーにより53年あの 「ローマの休日にて主役の座を獲得し、作品の大ヒッイメージ 44トと共にアカデミー主演女優賞を受賞し、一大ブームを巻き起きおこします。
以後はスター街道を突き進み「麗しのサブリナ」「尼僧物語」「ティファニーで朝食を」「暗くなるまで待って」でアカデミー主演女優賞にノミネートされました。
2度の結婚で2児の母になるも離婚。

           清楚で気品あふれる容姿で世界中の映画ファンを魅了したオードリーは、晩年は飢餓で苦しむ世界の子供たちのためにユニセフの親善大使として情熱を注ぎました。

19イメージ 8592年2月、彼女は米国でもっとも名誉のある市民栄誉賞「自由勲章」受賞しました。この年、がんの闘病をおしてユニセフのための活動を続け、ソマリヤ、ケニア、イギリス、スイス、フランス、米国を飛び回っていたのです。そして、1993年1月20日、オードリー・ヘップバーンユニセフ親善大使は、スイスの自宅で亡くなりました。

「わたしは、ユニセフが子どもにとってどんな存在なのか、はっきり証言できます。なぜって、私自身が第二次世界大戦の直後に、食べ物や医療の援助を受けた子どもの一人だったのですから」・・・・・そして、突き詰めるといつも同じところに帰ってきます。それは、

「愛を受けるイメージ 84でけではなく、誰かに愛を与えたい、というどうしようもない渇望でした。」

世界的な大女優でありながら、ノーメイクで活動する彼女に批判の声も上がりましたが、オードリーは、年を重ねた今の顔が好き、と言っていたようです。

イメージ 6ノーメイクというところに、心にまとい続けた重い衣装を全部脱ぎ捨てて、本来の自分で生きることの幸せに出会えた魂の喜びが表れているように思います。そして、その喜びの笑顔が私達へのメッセージそのものなのです。

「私にとって最高の勝利は、ありのままで 生きらイメージ 33れるようになったことです。

自分と他人の欠点を受け入れられるようになったことです。」

いつも愛に満ちた眼差しを注いでいた“永遠の妖精”は63歳の若さでなくなりましたが、朽ちることの無い心の美しさを残してくれました。

                                                                                                                                                                                                                                                           

                                                                                                                       

 


ページのトップへ