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 塙 保己一(はなわほきいち)偉業達成の、凄過ぎる秘密! 

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 塙 保己一(はなわほきいち)偉業達成の、凄過ぎる秘密! 

塙 保己一(はなわ ほきいち)イメージ 9(1746年〜1821年)は、江戸時代の国学者。『群書類従』の編纂者です。

埼玉県児玉市に生れます。3歳で眼病にかかり、7歳にして失明しました。向学心旺盛でしたが、15歳で盲人の職業団体(雨宮検校)に入門。按摩・鍼・音曲などの修業を始めるも挫折。人生に絶望して、自殺しようしたところを直前で助けられた保己一は、雨富検校に学問への強い想いを告げたところ「3年の間たっても見込みが立たなければ国元へ帰す」という条件付きで学者の道を志します。

fukuro16手のひらに指で字を書いてもらって文字を覚え、人が音読したものを暗記して学問を進めました。保己一の学才に気付いた雨富検校は、様々な学問(国学・和歌・漢学・神道・法律・医学)を、学ばせました。驚異的な記憶力で数万冊の古文献を耳から暗記。

血のにじむような努力の結果、和学講談所という、今で言えば国学研究所を開き、多くの弟子を育てます。

イメージ 2934歳の時、『群書類従』(ぐんしょるいじゅう)の編纂を決意。これは、日本の政治・経済・社会の出来事などを記録し保存するために、古典や古文書を収集、分類、校訂し、木版刷りで出版した、1270種、530巻666冊(版木17,242枚)におよぶ日本最大の国書のイメージ 31叢書(シリーズ本)。写本のままで一部しかなければ、焼けたり紛失したりする恐れがあるので、印刷(木版)して全集のかたちにし、後世に大切に伝えようとする保己一の発案でした。独力で巨額の費用を工面し、41年後の保己一74歳の時、『群書類従』が完成しました。

1821年には和学講談所の経営や群書類従出版の功績を認められて、保己一は総検校(盲人の最高位)となりました。そして、同年9月に76歳で帰天したのです。

和学講談所で『源氏物語』の講義をしているときに、風が吹いて、ろうそくの火が消えて、弟子たちがあわてたところ、気づかず講義を続けた保己一が「目あきというのは不自由なものじゃ」と冗談を言ったと言います。

イメージ 34・   三代続いた唖者教育一家のグラハム・ベル(電話機発明)は、ヘレン6歳の時に、家庭教師としてサリバン女史を紹介し、両親に保己一のことを聞かせました。

イメージ 32「塙保己一を手本にしろ」と両親より教育されていたヘレンは、昭和12年に来日した際、まっさきに渋谷の温故学会を訪問して、保己一の木像に触れ、「私は塙先生のことを知ったお陰で、障害を克服することができました。心から尊敬する人です」と、感謝の言葉を述べています。

へレンが感動したように、保己一の話に今も励まされ、勇気づけられる多くの人がいるに違いありません。

盲目と言うハンデを抱えながら、意思の力と向上心で、彼は「群書類従」編纂という偉業を成し遂げました。

その秘密は、彼の信仰の力です。

イメージ彼は、群書類従の大志成就のため、食断ちをし、麹町の平河天満宮に千日の間お百度参りをし、家に居ては常に神を拝し、般若心経を百遍読誦していたのです。そして、その祈りの内容は決して利や財を得る祈りではなく、専ら読書の手伝いをしてくれる人が現れますようにという祈りでした。ただ、日本の遺産を後世に残したいという一念だったのです。


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