伊田信光 幸福実現党 研修局長(兼)シニア局長 オフィシャルブログ

引退するの・・・やっぱりやめます。

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引退するの・・・やっぱりやめます。

imagesアンパンマンの作者やなせたかしさんが、2013年10月13日、94歳でなくなりました。激動の中、晩年に大輪の花を咲かせた一生を振り返ってみます。

1919年東京生まれ。朝日新聞の特派員であった父は5歳の時にアモイで客死します。母親が再婚したため、高知の叔父の元で育てられます。

少年時代は『少年倶楽部イメージ 2』を愛読し、中学生の頃から絵に関心を抱いて、官立旧制東京高等工芸学校図案科に進学します。卒業後、田辺製薬で宣伝部の仕事をしていた時、徴兵されて野戦重砲兵として日中戦争に出征します。

戦後、高知新聞の記者、三越宣伝部のグラフィックデザイナーを経て、1953年34歳で専業の漫画家として独立します。しかし、漫画の流行が変わり、一コマ漫画は廃れ、劇画が中心となって食べて行けなくなります。images

そんな時、NHKから「漫画学校」の先生の依頼を受け、その番組を3年間することになります。その間に、当時放送作家であった永六輔の願いで、やった事のないミュージカルの舞台美術を手がけるようにもなります。

そして、イメージ 3ある日突然、穴の空いた30分ドラマのシナリオの代役を頼まれます。そこで書いた『やさしいライオン』というミュージカル風のラジオドラマが評判になり、この番組でコーラスをやっていた「ボニージャックス」が、編集社に推薦して、絵本を作ることになるのです。これが、大変なヒットとなり、やなせさんは、子供向けの絵本作家となります。

そして、二作目を依頼されて描いたのが、「あんぱんまん」(イメージ 1この時はひらがな)だったのです。1973年、実に54歳の時でした。

この時代は、スーパーマンや仮面ものが流行っていたのですが、やなせさんは、「正義の味方なんだったら、まずひもじい人を助けるのがまず先なんじゃないか」、という思いがあって、そこから「あんぱんまん」を書き始めました。

しかし、編集者には、「こんなくだらないもの、顔を食べさせるなんてグロテスク。売れるはずがない、もう書かないでくれ」とまで言われました。

ところが、しばらくして、各地の幼稚園や保育園で子供たちから「アンパンマン、アンパンマン」と大合唱が起こるのです。そこで編集社の態度は一変し、絵本は続々と出版されるようになります。

そして、アニメ化の話になるのですが、これも難航します。「パンが飛んで行って、顔を食べさせるだと?こんなものが今の子供に受けるものか」。そんな批判を受け、資金も出ない状況で、視聴率の一番悪い月曜日の夕方5時に、やっと許可が出ます。そして、1988年アニメは大ヒット。やなせさんは69歳で大輪の花を咲かせます。以後、テレビアニメ『それいけ!アンパンマン』は25年続いています。

やなせさんは言います。

「つくづく思うんだけど、人生の7割は運です。努力は一割かなあ。…でも、人生が運で決まるならば、その運に巡り会うように、いろんなことをやらなきゃいかん。『これはちょっと自分には向かないんじゃないか』なんて考えないで、ただやることです。やっていくなかで巡り会う人が凄く大事なんです。

…新しい世界に飛び込むことはすごいチャンスなんですよ。だから、自信がなくとも何でも引き受けた方がいい。

声をかけられたことは『できない』と断らずに、無理やりにでもやってしまえばいいんです。やっていくうちに身に付くから大丈夫。

大事なのは、どんな仕事でも一生懸命やること。一生懸命にやったことなら、たとえ失敗体験だとしても、後になって全部役立ちます。…はたから見て非常にきつい仕事でも、やってみると面白いこともある。本人がいい仕事だと思ってやっていれば、それでいいんです。

天職に出会えたら、心の満足が得られます。不思議なことにお金にもいくらかは恵まれる。うまくできているんです。…人間、何をするんでも、その瞬間が面白くて楽しいほうがいいじゃない。だから僕は、何をやるにも楽しくなるよう、いつも工夫しているんですよ。」

 やなせさんは、詩の分野でもとても素晴らしい仕事をされました。舞台美術の仕事で永六輔さんから紹介された、作曲家のいずみたくさんに作曲してもらい、完成したのが、手のひらを太陽にです。

2011年、東日本大震災直後イメージ 4『アンパンマンのマーチ』が、復興のテーマソング的に扱われ、「笑顔を失っていた子供たちがアンパンマンを見て笑顔を取り戻した」という良い話がたくさん届き、92歳で引退するのを取りやめます。被災地向けにアンパンマンのポスターを制作したり、奇跡の一本松をテーマにしたCDを自主制作するなどして、被災地のために力をそそぎます。

死直前イメージ、責任編集者として携わった最後の季刊誌『詩とファンタジー』の巻頭言では、「死ぬ時も 未熟なままで かえって よかったような 気がします」と最後の心境を綴られました。

正真正銘の生涯現役。ご冥福を御祈り致します。


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